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日航機墜落:慰霊祭に参列して

 「急な話ですが、日航機が墜落事故を起こした、8月12日(金)、また御巣鷹山の慰霊登山を行い、追悼慰霊祭にも主婦のジャーナリストとして参加してみようと思っています。またそれまでの過程も含めてUSTREAMで中継したいと思います。

 ただ御巣鷹山や上野村の電波環境はまだわかりませんので、中継がどうなるか実際に行ってみるしかありません。
 なおガイガーカウンタをお持ちの方はあるブロガーの方がおっしゃるような中性子爆弾を搭載されたミサイルなどの影響が残っているか検証してくださればありがたいかと思います。日航機墜落事故では無関係かと思われますが、もし検知された場合はこのブログのコメントでご紹介していただければありがたいかと思います。
 
 ただ一般の原発事故以上の放射線量が検出されるかどうかがポイントかと思いますが。なお検知された現場の写真などもございましたら、このブログの秘密のコメント欄にメールアドレスをお知らせいただければ、私のメールアドレスなどをお知らせしますので、添付してお送りください。匿名でご紹介いたします。」

と書きましたが、御巣鷹山に行ってきました。


 2011年(平成23年)8月12日(金)御巣鷹山慰霊登山・慰霊祭


 御巣鷹山を目指して





山道に入る。この山を日航機に乗っていた乗客もあの日眺めていたと思うと、厳粛な気持ちになる。


上野村慰霊の園で



御巣鷹山頂で




昇魂の碑

焦げた木の幹に若木が生えていて、私が初めてこの山に登ったとき、山が「このまま事故のことをうやむやにしないで!」とすすり泣いていて、何かを訴えていると思えたのだが、この若木を見たとき、しだいに真実が明らかになり始めて、しだいに安らかな山になっているように思えました。

慰霊祭ろうそく供養







 

 なお「日航機墜落の真実を求めて」の服部順治さんがはじめた、

http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

リアルタイム推理Wiki小説「9.11ネクスト ~次なる危機の回避にむけて~」 で書かれた、

http://www16.atwiki.jp/911next/

「中曽根康弘元首相のつぶやき」

http://www16.atwiki.jp/911next/pages/15.html

を下記に紹介いたします。

 著作権フリーなので、ご自由にご利用ください、とのことです。

--------------------
「中曽根康弘元首相のつぶやき」  日航機墜落事故などについて


「ふぅー」
迎え火の煙の行き先をぼんやりながめながら、中曽根は大きなためいきをついた。


またあの8月12日が訪れようとしている。


 「あの時代は、あー、するしかなかったんだよ」と何度も自分に言い聞かせるように心の中でつぶやくのだった。


 共産主義国家のソ連や中国の脅威から日本を守るには、日米安保の強化しかなかった。「日本を浮沈空母とする」と私がさもアメリカ側に約束したかのごとく揶揄して言われたが、実際、その道しか残されていなかったのだ。現に今の日本でさへアメリカの支配を間接的に受けていて、鳩山君があんな沖縄の小さな普天間基地さへ移転できなかったぐらいだから。


 アメリカの力は強大だ。こんな強い国を相手に、なぜ我々、日本民族は戦いを挑んでしまったのか。当時の海軍はかなり客観的にアメリカや自国の軍隊の力を把握していたが、陸軍は感覚的に動き、統率力に欠ける部分が多かった。
 まあ、こんな過去の話をしても仕方ないが、とにかくアメリカの力だけは見くびらないほうがいい。橋本君も周囲の知人にもらしていたが、アメリカほど怖い国はない、と言うのは本当だ。
 
 いまだに日航機墜落のときの原因となった誘導ミサイルの衝突は我々のコントロールミスによる事故だったのだろうか、疑問が残ったままだ。
今となっては真実を解明することすらできない。
証拠はもう御巣鷹山のダムの下に眠ってしまっているのだから。
相模湾から引き上げた尾翼もいっしょに。


 あの日航機のパイロットも非常に優秀だった。自衛隊機の誘導どおりに私の選挙区の群馬県上野村で墜落してくれた。そのおかげで近くの秘密基地にいた自衛隊の特殊部隊がすぐに出動できて、夜明けごろまでには証拠隠滅をはかることができた。
 
 中国の鉄道事故での証拠隠滅をあきれている日本人がいるが、日本ではそれらを影でやってて、ただ一般の人たちに見えないようにやってるだけだ。
 まあ、中国のようにあからさまにやらず、巧妙に裏にまわってやっている、というわけだ。


 事故当時はアイソトープ積載などいくつか理由をつけ、わざと間違った場所を教えて、救助隊の到着を遅らせたりしたからな。
 ただこれも長野県警のヘリコプターが正確な位置を知らせてしまって焦ったこともあったが。
 
 また救助に向かおうとした自衛官を射殺してすまないことをしたと思うが国の体制を保つことを優先させるのが首相の仕事だ。


 また日本のマスコミはよほどアメリカの気分を害した政治家以外には、後から真相を追及しないのが暗黙の了解だ。日本のマスコミには政府が言ったことをなるべく正確に伝える通信者はいるが真実を探るジャーナリストはいない。いや、そんなことをする記者が出ては困るのだ。あくまでも政府や警察の言うとおりのことを伝え、時々、順番に記者クラブを通じてちょっとしたリーク記事のネタをあげるようにしているだけだ。
そうしないと彼らマスコミも商売にならないからな。
 
 最近はネットの普及で、そのへんのからくりもさらけだされるようになってしまったが、それもごく一部の目覚めた人たちでしかないようだ。
 日本のサラリーマンはいわゆる社畜の状態だから、上の機嫌や周りの空気を読んで合わせる人間が圧倒的に多い。そうしないと社会や会社で生き続けるのは大変だろうからな。
 
 出る杭は打たれる。政治家では小沢君がいい例だ。世界では3番目に優秀な政治家ともてはやされている彼でさへ、マスコミは「政治と金」と言うキーワードだけで、こぞって彼を叩いている。朝日新聞の最高の編集主幹であった船橋洋一君がCIA協力リストに挙げられていたことからもわかるように、進歩的だと思わされていた朝日さへアメリカのコントロール下にはいっていた。
 
 まあ小沢君の政治的な現在の状況は、本当は、日本にとって非常に不幸で残念なことだ。
 元々、アメリカ側が小沢君を無視して、菅君や岡田君に直接、接触するようになった時点で、すでに相当、小沢君はアメリカを怒らせてしまったことがわかった。
 
 アメリカの軍隊はもう第7艦隊だけでいい、とか、民主党の若い連中を何百人も率いて中国に訪問なんてやっていたからな。
 小沢君ももっと柔軟にうまくやればいいのに、あの頑として譲らない強気の性格がつい出てしまうのだろう。政権交代を果たし、さあ、これからは思い通りの政治ができる、と舞い上がってしまった所もあるのだろう。角さん譲りだなー、あの性格は。
 
 ただ鳩山君ほどのんきな人ではない。
あの鳩山君ほど政治家としての苦労をあまり知らない人もめずらしいだろう。
だからアメリカの本当の怖さを知らないんだ。お坊ちゃんで育ってしまった結果だろう。

小泉君もその傾向が強く、あまりにもアメリカを過信しすぎていた。
あまり根拠のない信念に自分で酔っていたようだ。
まあ2世議員の弱点だろう。
その点、菅君ほど総理大臣に執着心をもった人間も見たことがない。
それほど若いときから憧れ、野心を燃やし続けてきた結果だろう。
その執着心だけは2世議員は見習わないといけないかも知れん。

 ただ彼は左翼ぶった改革者のつもりかもしれないが、本質的には体制側の人間だったことは確かだ。東工大でも大学改革でもりあがっていたストライキを自分の就職事情もあってか「ストライキをやめさせた、いわゆるスト破りの人間だ」と聞いたとき、なんだ、改革を途中でやめさせるリーダだったのか、と合点したぐらいだから。

 時代の潮目を見る目をもってるだけで、いわゆる波乗りが上手な政治のサーファーだ。そこには何ら信念や責任感は見えてこない。
その場、その場をなんとか乗り切ってやり過ごすことしか頭にないからだ。
橋本君がその彼の性格をうまく利用して、厚生省の改革をやっていた。
ビジネスでもそこをうまく利用すれば、彼ならすぐに乗ってしまう。
孫君はそのへんうまく使っている。

 ただアメリカ側も原発対応でここまでひどい首相だとは想定していなかったようで、対日戦略上の見直しをやっているようだ。
 この想定外が何なのか、私にはよくわからない。ただ本来なら原発事故が起こった当初、すぐアメリカ側の言うとおりに処置するるはずが、逆に専門家の言うことを聞き入れず、国民にとって悪い方向にどんどん進めてしまった、と言うことらしい。

 その想定外のことが、今後の彼らの計画上、どう影響を与えるのかわからない。
わかっていることは、今までどおり、わが国や中国など、BRICsを巻き込んで、壮大な量のお金をアメリカに舞い戻らせように仕組んでいることだ。
 
 あの国のドルはもう数年で限界点に達するのは誰の目にも明らかで、その結果を予想することはアメリカのみならず世界の経済を誰も予想もしたくない未知の混乱に陥れることになってしまうから、マスコミでも徹底して議論されることはない。
 ただその混乱に乗じてか、その混乱を故意に起こしてか、第2の9.11やCO2犯人の温暖化詐欺が一斉にはじまるような予感がするのだ。

 どちらにしても二大政党制で内輪で争っている場合でないことだけは確かだ。 渡辺君もそのへんを察知してか、大連立などをぶちあげたけど、ぽしゃってしまった。

世の中の裏の動きを解析できるジャーナリストを育てず、世の中の上っ面の情報を伝達するだけの通信社機能しかもたないマスコミを維持・経営してきた渡辺君の因果応報でもある。

 「福島の放射能汚染はいますぐ健康被害はない」と書いている東大出身の一流記者に、本気でこんなこと思っているのか、聞いたことがあったが、「えぇ、そこにも小さくのっているように枝野官房長官の記者会見で、そう言ってました。私はその事実を書いているだけです。」と、胸をはっていた。そうか、マスコミとは通信社のことだったのか、と合点した。
 
逆に、これでないと我々、統治している政治家にとって都合が悪いのだ。
マスコミに考える人間、疑いをもつ人間がいてはまずいのだ。


 まあ、それにしても、今後のアメリカの動きが気になるこのごろだ。

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山全体からの水蒸気は何を意味するのか?

日航機の救助にあたった第一空挺団は、墜落場所が特定されず、かなり時間が経過してから救助にあたったが、この時、山全体から水蒸気が上り続け、地面が熱せられて歩いていても足の裏が熱くなっていたと証言している。

遭難場所がわかっていながら誤報を流し続けたり、米兵が救助寸前で命令により引き返したり、待機命令が出され救助隊がすぐに救助にあたれなかったりということから、放射性物質による汚染などということも取りざたされているが、水蒸気と歩くのも熱いほどの地面から、中性子爆弾とか水爆とかといった説もでてくるのであろう。真偽のほどはわからない。にわかに中性子爆弾とか水爆とかといった説を認められるほどの確証もない。しかし、このことが何を意味するのだろうかという疑問は残る。

 墜落の速報と同時に、NHKニュースで「待機命令に違反した自衛隊員を射殺!」という字幕が流れたのも、ひっかかる。なぜ、待機命令なのか?このことが日航機が放射性物質を積んでいたとか、撃墜するのにこの種の爆弾がつかわれたというような説につながるのだろう。

また、御巣鷹の「神流川地下発電所」は、地下500m(標高1380mの山なので実質的に880m程度のところ)につくってあり、 御巣鷹発電所の地下空洞を拡張すると、高レベル放射性廃棄物の投棄場になるということもわかっている。

今わかっているのはこれだけで、これ以上は推測の域を出ない。しかし、これらのこともやがてわかってくるのかもしれない。



日航ジャンボ123便 第一空挺団「足の裏があつくなる」 (山体全体から立ち登り続けていた水蒸気と密接な関連か?



浜岡原発パンフによれば、高レベル放射性廃棄物地層処分は地下500mと書いてあります。  御巣鷹の発電所は地下500mです。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/868.html
以前、なんだかどうしても浜岡原発にいかなければならないような気がしまして、掛川の友人の案内で浜岡原発を見学しました。



その頃は気がつかなかったのですが、2010年11月10日の日航ジャンボ123便静岡県内航路めぐり取材で見た浜岡原発PRパンフの『F原子燃料サイクル』のところに「高レベル放射性廃棄物 地下500m」と書いてあります。



そういえば、御巣鷹の「神流川地下発電所」は、地下500m(標高1380mの山なので実質的に880m程度のところ)につくってあります。

御巣鷹発電所の地下空洞を拡張すると、高レベル放射性廃棄物の投棄場になるということです。
分水嶺地帯の水源地に高レベル放射性廃棄物処分場が建設されれば、東京、埼玉、千葉、茨城、長野、新潟、の各県の飲料水は軒並みダメージを受け、日本人弱体化に拍車がかかりかねません。

日航ジャンボ123便 生存者4名に貢献「長野県警レスキュー隊」と事故機残骸は調布宇宙関連施設へ

 「阿修羅」に、中曽根全員死亡命令で動けなかった群馬県警に対して、他県への越境救助を無理やり敢行して、生存者4人を救助したのは長野県レスキュー隊だったという事実が出ていた。
また、「未納入自衛艦「まつゆき」は、JAL123便の破片を拾っている。そして、この破片をマスコミの目の行き届かない館山港に陸揚げした。見つかっていないと思われていた尾翼の部分は実は陸揚げされ、その引き上げられたばかりの尾翼の写真(週刊文春の元ネタ写真参考)を自殺した自衛官は友達に託していた。」という情報があるがhttp://wajuntei.dtiblog.com/blog-entry-887.html、事故機の残骸の多くは、調布の宇宙関連施設へ運ばれたということで、運輸省航空事故調査委員会123便報告書のJA8119号機報告書205ページ残骸写真57に 「調布行き」のマジックの文字が見られることが、下記の「阿修羅」の引用写真からも明らかである。


阿修羅
 

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/364.html
日航ジャンボ123便 生存者4名に貢献したのは「長野県警レスキュー隊」であった。群馬側の人間を大変に威圧し全員死亡を回避
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/364.html
投稿者 愉快通快 日時 2010 年 10 月 22 日 02:21:19: aijn0aOFbw4jc

1985年8月13日当時、朝10:00頃に御巣鷹スゲの沢に入った写真記者から話を聞けたのだが、「長野県警レスキュー隊は大変高圧的威圧的な態度であった」
ということなのである。

全員死亡目前に、人道的な見地から、他県への越境救助を無理やり敢行した長野県警レスキュー隊の動きにより、生存者が出たのが実態である。

警察が越境するということがどれほど大変な事態かおわかりいただけるだろうと思う。中曽根大勲位からの全員死亡命令で動けなかった群馬県警だが、中曽根大勲位を恐れず人命優先で動いた長野県警レスキュー隊はもっと評価賞賛されるべきである。


群馬県上野村のJAL123便における生存者4名に貢献したのは「長野県警レスキュー隊」であった。群馬側の人間を大変に威圧し全員死亡を回避した。


<参考>必死に生存者 落合由美氏 を背負って尾根に向かう長野県警レスキュー隊
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2412.jpg  
コメント
01. 17 2010年10月23日 10:56:51: vQDUeEHob2Pro : iE8f4U9IqM
人命第一の長野県警レスキュー隊、賞賛すべき決断と行動力です!



★阿修羅♪ > 昼休み44 > 176.html  
次へ 前へ
日航ジャンボ123便 航空機事故の残骸が『宇宙関連施設』に運ばれていたというのは意味深です。
 
205ページに「調布行き」。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/176.html
投稿者 愉快通快 日時 2010 年 11 月 17 日 14:03:45: aijn0aOFbw4jc

(回答先: 日航ジャンボ123便 日航ジャンボ123便 米軍横田基地「サムライサージ」(牡丹→ウンモマーク 向上訓練→シンポジウム) 投稿者 愉快通快 日時 2010 年 11 月 13 日 09:07:33)

運輸省調査報告書写真の「調布行き」は調布航空宇宙センター行きだった。


運輸省航空事故調査委員会123便報告書のJA8119号機報告書205ページ残骸写真57に
「調布行き」のマジックの文字が見られます。
http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/pdf/62-2-JA8119-07.pdf
これは近隣の「調布宇宙航空センター」行きだったのです。1985年末の123便についてのNHK特集に、調布航空宇宙センターが出てきます。昨日、調布航空宇宙センターに行ってきました。
http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka#p/u/6/7Mq4MmD9f48
「航空機事故」の残骸が、宇宙関連施設に運ばれていたというのは意味深です。
1985年末に放映された123便に関するNHK特集に調布の宇宙施設が出てきます。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2712.jpg
また「疑惑JAL123便」の書籍の「角田氏」という名前ですが、「角田航空宇宙センター」と同じ字を書きます。

昨日、角田宇宙センターまで行ってきました。
すると、「角田宇宙センター」は海軍の弾薬庫跡につくられていました。
 http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka#p/u/10/S676foiuZ18

19  日航機墜落の真相は?  *事故機乗客 小川 哲氏撮影の写真 と ニュース速報 は何を意味するのか?



 事故発生時のニュース速報の中で、「右側ドアが故障したので緊急降下」という事故機からの第一報が伝えられている。

 また、事故機に乗っていた小川哲氏の撮影した写真は、R5(右側最後部)ドア近くの窓の外を連続撮影したうちの1枚で、。窓の外に異変を感じ取り、それを確かめるように何度もシャッターを押しているようにも見える。

画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます。」ということだった。

 このオレンジの物体ミサイル(標的機)だとすると、迫り来るその物体を撮影し、真相の究明を我々に残して亡くなったともいえる。

 ニュース速報では、すでに7時頃には墜落機を住民が目撃し、また、アメリカ軍も墜落現場を把握していたことがわかる。それなのに、なぜ翌朝まで墜落現場が特定されず、救助されなかったのか?隠ぺい工作が行われたと疑念をもたれるのも当然だと思われる。

 もし、この事故が今言われているようなミサイルの誤射だとすると、加害者の立場に立たされた日航職員もまた被害者ということになる。遺族との交渉中に亡くなられた日航職員をはじめとして、多くの方々の人生がこの事故によって失われたも同然のものとなったということになる。

「墓場までもっていく」ことでは、この事故で亡くなられた乗客の命やご遺族の願いは何ら報いられない。真実を知る者は、語るべきである。いや、その時が来たのだと思う。

 また、「ーJAL123便墜落事故25年目の記録ー」というよくまとめられているブログがありました。これから事故原因についてどのようにまとめられるのか楽しみです。
http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-6.html








日航事故機乗客 小川 哲氏の残した写真は何を語るのか?
 


「日航機墜落の真実を求めて 」
 
ブログ
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/
「一部引用:『週刊現代』8月14日号は、この点に関する本書の問題提起を4頁にわたって大きく取り上げている。タイトルは「JAL機墜落25年後の真実」。本書のグラビアにも掲載されている写真で、父母と妹の3人を失ったA氏から提供されたものである。そこに「何か」が写りこんでいる。

これはA氏の父親がR5(右側最後部)ドア近くの窓の外を連続撮影したうちの1枚である。最初の方は、窓の外の普通の風景で、これを撮影したのはA氏の妹で、旅の思い出として撮ったものとされる。だが、その次(10枚のうちの5枚目)から不思議な写真が続く。窓の外に異変を感じ取り、それを確かめるように何度もシャッターを押しているようにも見える(『週刊現代』の著者インタビューより)。

青山さんはパソコン上でこの写真を拡大していったところ、オレンジ色に変色していったという。画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」という。

ネガを直接鑑定すれば、この「オレンジ」の正体も分かるだろう。123便は「横」からのG(圧力)によって機体が揺れている。「後部圧力隔壁損壊」では横揺れは起きないという。この「オレンジ」が右方向から123便に接近しているとすれば、この「オレンジ」と123便墜落との間に重要な関連があるとは言えまいか。」

小川哲氏撮影の写真 

http://file.ascensionnote.blog.shinobi.jp/uhguihiu.jpg

18 日航機墜落の真相は? *事故当時の管制官が思いを語る

 日航機墜落当時、東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の管制官として上空の航空機と交信していた管制官が沈黙を破り、事故墜落時の悲鳴が忘れられないと書いている記事を紹介したい。事故を風化させないとの思いで、ここへ来て多くの人々が、知っていることを語ったり、事故当時の事が書かれているのをブログに抜粋したりして、自分のできることをしはじめた。この気持ちが何かを動かすことになるのかもしれないと思いながら。

asahi・com
http://www.asahi.com/national/update/0810/TKY201008100270.html
墜落前の悲鳴「今も耳に」 日航機の管制官、沈黙破る(1/3ページ)
2010年8月10日16時48分

「夏になると当時に引き戻されるんですよ。(日本航空のジャンボ機の)墜落直前にヘッドホンを通じて耳に届いた、パイロットの『ああっ』という悲鳴のような声が忘れられない」

 西日本のある空港で、男性(54)は言葉を選び、語り出した。

 25年前の夏。東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の管制官として、上空の航空機と交信していた。8月12日も普段と変わらない一日だった。

 当時29歳。管制官になって8年目だった。先輩管制官らと「関東南セクター」という空域を担当する勤務に夕方からつき、管制卓に着席した。羽田への到着便が増える時間帯。「そろそろ忙しくなるぞ」と思った矢先だった。

■午後6時24分47秒

 「ブーッ」。管制室内にブザー音が鳴り響く。レーダー画面の日航123便の機影に、緊急事態(エマージェンシー)を示す「EMG」の文字が点滅し始めた。乗客と乗員計524人。午後6時12分に羽田空港を離陸し、大阪(伊丹)空港に向かっているボーイング747型機だった。部屋の隅から、上司が近づいてきた。

■同25分21秒

 「日航123便、トラブル発生。羽田への帰還を求める。2万2千フィート(高度約6700メートル)に降下したい」。機長の声が英語でヘッドホンから流れてきた。

 「了解」。そう答えながら「おかしいな」と感じた。エンジン出力が低下した、客室内の気圧が下がったなどと、普段ならトラブルの中身を伝えてくるはずだが、機長は何も言わない。

 心が騒いだ――。

     ◇

 東京航空交通管制部に「羽田へ戻りたい」と告げた日本航空123便は、旋回することなく、ふらふらと伊豆半島上空を西に向かっていた。

■午後6時27分2秒

 「123便、確認しますが緊急事態を宣言しますね」

 「その通り」

 「どういった緊急事態ですか」

 やはり応答はない。「とんでもないことが起きているのでは」


■同28分31秒(地図上の1)

 「レーダー誘導のため90度(東)へ飛んでください」

 「しかし、現在アンコントロール(操縦不能)」

 衝撃的な言葉だった。普段はオフのスピーカーがオンになり、123便とのやり取りが管制室中に響いた。

■同31分2秒(同2)

 「降下できますか」

 「今、降下しています」

 「名古屋に降りますか」

 「いや、羽田に戻りたい」

 「何とかしたい」。そう思うと、とっさの呼びかけが口をついた。「これから日本語で話していただいて結構ですから」

 パイロットと管制官とのやり取りは、近くを飛ぶ航空機でも聞き取れるよう、通常は英語を使う。でも今は、パイロットの負担を少しでも減らし、事細かにやりとりしたかった。

 123便は北に向かう。すでに隣の空域に移っており、無線の周波数を切り替え、別の管制官に移管するところだが、そういう指示はしなかった。「切り替えたはずみで無線がつながらなくなるかもしれない。そうしたら日航機は命綱がなくなってしまう」

 じりじりとしながら画面をにらんだ。他機が近づかないよう、航路から退ける指示を続けた。

 富士山をかすめた123便は、羽田のある北東に向かい始めた。「戻れるかもしれない」。かすかに期待も芽生えたが、周囲は山。機体の高度は5分間で一気に3500メートルも下がっていた。

■同47分17秒(同3)

 「現在コントロールできますか」

 「アンコントローラブルです」。もはや管制官はまったく役に立っていなかった。ヘッドホンから「ああっ」という声も聞こえてきたが、機内で何が起きているのかは、わからなかった。

 「おれはどうしたらいいんだ」。絶望が襲う。その頃、機長らが必死に山を避けて操縦を試みていたことは、後で知った。


■同53分28秒(同4)

 「えーアンコントロール。ジャパンエア123、アンコントロール」

 「了解しました」

 これが最後の交信になった。

 3分後、糸の切れたたこのように画面上を点滅しながら漂っていた機影が止まった。その場で十数秒間点滅した機影は突然、消えた。

 体に電気のようなしびれが走った。薄暗い管制室は静まりかえった。背中越しに指示を送っていた上司も、先輩も黙っていた。30秒ほどして、上司に促されて呼びかけてみた。「ジャパンエア123、ジャパンエア123」。応答はなかった。

 ヘッドホンを外し、席を立った。別室で報告書を書いた。妻には「いつ帰れるか分からない」と電話で告げた。頭の中で何度も、交信した「最後の30分」を繰り返していた。

 朝方に帰宅して、墜落した機体をテレビで見た。ショックを気遣った上司に数日、休みを与えられた。事故原因を調べる国の航空事故調査委員会や警察から、事情を聴かれることはなかった。

   ◆  ◆

 管制官の仕事を続け、最近までいた部署では事故防止の対策づくりに取り組んできた。今は管理職として空港事務所で管制関連業務に携わっている。だが、123便と交信していたことは、家族や一部の同僚しか知らない。

 事故から数年後に御巣鷹の尾根に立った。その後も、遺族や報道陣が多い8月を避けて、仲間や家族とたびたび登ってきた。

だが、尾根へと向かう険しい道のりや、事故で傷ついた山肌を見るたび、あの時のつらい思いが呼び起こされた。無理だったと分かっていても「自分が何とかできなかったか」という思いはぬぐえず、表に出て話す気持ちになれずにいた。

 最近になって、 「事故を風化させないため、今ならできることもあるのでは」との考えが頭をよぎるようにもなった。世界各地で飛行機事故が起きるたび、原因は分かっているのか、管制官はどう対応したのかと気になる。

管制の現場には、御巣鷹の後に生まれた管制官も出てきた。航空会社の経営はどこも厳しく、安全よりもコスト削減ばかりが取りざたされるのが気がかりだ。

 25年前の「あの夏」のことを伝える時期なのかもしれない、と思いはじめている。

     ◇

 日航123便墜落事故 1985年8月12日午後6時12分に羽田空港を離陸した大阪(伊丹)行きの日本航空のボーイング747型(ジャンボ)機が、12分後に相模湾上空で操縦不能になり、同56分に群馬県上野村の山中(御巣鷹の尾根)に墜落した。乗客509人と乗員15人のうち乗客4人を除く520人が死亡した。

スペイン・カナリア諸島の空港で77年にジャンボ機同士が衝突し、583人が死亡した事故に次ぐ惨事で、単独機の事故としては現在も世界最悪。

 国の航空事故調査委員会は87年、機体後部の圧力隔壁の亀裂が広がって破壊され、一気に噴き出した客室内の空気が尾翼などを吹き飛ばしたとする調査報告書を公表。

この機体は事故の7年前に伊丹でしりもち事故を起こして隔壁を損傷しており、この際にボーイング社が行った修理が不適切だったことが破壊につながったと結論づけた。

 御巣鷹以降、日本の航空会社は乗客を死亡させる事故を起こしていない。


プロフィール

和枝

Author:和枝
 高校教師をやめ、ガーデニングのブログを書くうちに、気づいた小沢問題の陰に潜むマスコミや検察の腐敗をブロガーたちと追究し、小沢一郎氏の無罪判決を得ることができました。

「和順庭の四季おりおり」と題したブログの時から御支持いただいた真実を追究する仲間や冤罪被害者の皆様に支えられ、市民メディア「ツイートテレビ」を立ち上げ、私も生まれ育った東京を離れ、「生活の党と山本太郎と仲間たち」に習い、心機一転、主人の郷里・徳島にてエネルギッシュで常に現実に向き合い情報発信する生活をしています。
 
 それに伴い「和順庭」と名づけた庭も徳島県へ引っ越しました。



※寄付のお願い
■郵便局からの振込みの場合
口座 ゆうちょ銀行
記号 10000 番号 88352491

■銀行からの振込みの場合
口座 ゆうちょ銀行
店番 008 普通預金
口座番号 8835249
口座名 服部 和枝

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