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平等であること・平和であること

 2003年に、「市民発平和」という「軍縮 問題資料」という雑誌の寄稿欄に依頼を受けて投稿した。当時の私は、このような雑誌があることも知らなかったが、長年家事・育児に追われながら勤めていた仕事を辞めたばかりで、精神的に痛手を負っていた私は、女性が学び、意見を言い、参加できる場を求めて、ネットで調べた「市川房枝記念館」へ通っていた。

 大学卒業後すぐ就職して退職するまで一つ職場にいて、仕事と家事と育児に追われる毎日で、ほとんど職場と家庭しか知らなかった。他に仕事をしたこともなく、学校と家との往復の毎日だったから、仕事を辞めてもどうしていいのかわからなかった。あまりに忙しかったため、辞めて精神的に落ち着いてくるとじっとしていられなかった。(功労金をつけると言いながら、辞めると言った翌日には私の席に後任が座っていて、なかなか退職金も振り込まれず、退職金の計算書もなく、請求しても理事長印もない書類が送られたり、さらに言うと自宅まで乗り込まれたりと、最後は泣く泣く認めざるを得なかったという憤りと恐怖感から精神的にかなり追い詰められていた)
 
 26年もの間、昼間何もせずにいるということがなかった。だから、仕事を辞めて昼間しばらくは働いている人を見ると、なぜか罪悪感に襲われた。長年一生懸命働いた職場から、石持て追われるごとく辞めさせられた心の傷はそう簡単にいやされるものではない。とにかく人の中へ入るのが怖いという思いを持ちながら、人によって傷つけられたものは、人の中で癒されなければ回復しないという気持ちから今まで経験したことのないこの記念館やシンポジウム、講演会と自己啓発の場を求めて毎日出かけたのだった。みじめな自分で終わりたくなかったのかもしれない。

 市川房枝記念館から地元の懇談会を紹介され、それに参加したりしていた。とはいっても、政治のことなどほとんど知らない。政党に所属していたこともないし、政治家とのつきあいもない。参加型民主主義を実現するためと言われて参加した懇談会は、市民といっても社民、新社会、ネット、共産などの支持者や市民の会だったように思う。

何回か出席したが、しだいに私のような素人の市民には何か違和感を覚える場だった。区長擁立のための期限が迫れば迫るほど、政党色がしだいに強まり、普通の市民の参加する民主主義実現の場と異なっていった。結局、途中でこの懇談会は失礼した。退職のときに立ち直れないぐらいの傷を受け、そのときから「仕事じゃないのだから、傷を受けぬうちにいやならやめたほうがいい」という思いが浸透していたからかもしれない。

それでも、政治の場で活躍している女性と話をしてみたいという思いはやまず、土井たか子議員と話してみたり、福島瑞穂議員が来るというのででかけてみたりした。土井さんとは講演を聞いて、その後の会で話もしたが、意思の通じるところはあるものの、かなり組織的なものを感じ、仕事をしていたとはいえ、平凡な主婦のとらえ方とはかなりひらきがあると思った。福島瑞穂さんは、行った会合には見えず、この方とは縁がないと思っている。話を聞いてもあまり心を動かされることがないのも正直なところだ。

 懇談会のときには、「民主党の議員さんも呼んで話を聞いてみれば?(当時民主党も野党だったから。)」という素朴な疑問を出しただけで、「あんたは来なくていい!」と言われたのにもびっくりしたが、その後、NGOなどを通じて民主党の区議会議員の方との会を持つようになり、民主党の区議の方は、とても普通の市民の立場で、個人の意見も尊重して聞いて下さり、親しみやすかった。

その後、職場と家庭だけの生活から気心知れたお友達や人生のパートナーにも恵まれた。退職、離婚という人生の転機も乗り越え、今やっと幸せだなと思える日々を過ごしている。

 人格を破壊するほどの執拗な小沢氏攻撃など見るにつけても、テレビが個人攻撃の材料に使われていると思わずにはいられない。私がやめたときを思い出すから小沢氏や冤罪被害者を応援するのかもしれない。そして、2003年に書いたこの記事を今読んでも、あの時のメディアへの危惧はさらに現実のものとなっている。

イラク戦争に日本が賛成し、重要な法案が簡単に決められ、いてもたってもいられず、ネットで調べ、民主党にメールを送り、国会を傍聴するため紹介議員をお願いしたいといったのだが、返事はなく、結局ネットで社民党の田 英夫議員が傍聴券を用意して下さるとの回答を得、ここに書いたように傍聴に出かけたのだった。

秘書の方から傍聴券をいただき、田議員とお話をすることもなかった。田議員についてもそれまでほとんど知らなかった。このときの傍聴で驚いたのは、記者席にいる記者が皆居眠りしていることだった。傍聴席の傍聴人は座れずに立っているのに、記者は録音でもしているのか居眠りをしている。こんな記者が記事を書くのかと思ったら、ぞっとしたのを覚えている。

 イラク戦争に日本が賛成した頃、何かと意見を言うなという雰囲気があって、言論弾圧というのはこういうことだと思った。議論や意見をかわすことなくあらゆる場で、物事が決められていく。黙って決めたことに従えというあの空気は、私のこれまでの人生でないことだった。民主主義とかとは程遠い時代になっていくのではという思いまでよぎった。

自由のためとか、民主主義のためとか、共産主義と戦うためとか、戦争はあらゆる理由をつけて行われる。勿論、私は共産主義者でもないし、政党に所属したこともない。言いたいのは、戦争とは、戦争によってしか経済がまわらないようになっている国が、憎しみを持つように仕向け、国民を犠牲にして利権を得るということなのだ。そして、一般市民の命と人生と家庭が奪われていく。宗教までが、そのために利用される。戦争のためには神風など吹かぬはず。神様だって、仏様だって、人類の平和を望んでいるはずだから。新興宗教のような指導者に間違った方へ誘導されたらどうなるのだろうかと思う。(教祖様のためならきっと死ぬこともできるように信じこまされているのだから)

一方的な情報操作によって、悪人に誰かを仕立てていくことを許すことは、いつでも戦争のできる国にするということである。
今、日本は菅政権になって、その危機にあるといってよい。法人税減税によって企業を、新聞税によって新聞を引き寄せ、権力を得ても、国民の心は得られない。

このような日本の危機にも、人権や言論の自由の危機にも、ブログやツイッターなどで、仲間もいると思えるから、あの戦争に向かった時代とは違うのだと思うのだが。

 かつて、投稿した原稿を読んでみて、あのころはまだ政治の裏など何もわからずにいたから、知識やとらえ方の足らぬところもあるが、あの張り詰めていた気持ちが甦ったようだった。


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平等であること・平和であること 


 人はいずれ死ぬとすると、子供達や次の世代に何を残せるだろうか。過去から脈々と永遠に続く命の繋がりの中で、私という人間が生きていたことなど、やがて忘れ去られてしまうとしても。何かを伝えなくてはという気持ちは、イラク攻撃が始まるかもしれないという時には、ピークに達していた。

それまでの日常の煩雑さに、社会情勢に眼を向ける余裕すらなくしていた。新聞広告で見た「グリーンピースジャパン」のピースパレードは、今までにない感激と自信と勇気をもたらした。「いてもたってもいられない」恐らくデモなど行ったことのない普通の人々が立ち上がった。まさに個が結集する連帯の瞬間があった。バラバラの個人が内に秘めた想いを行動に移した時、それは素晴らしいエネルギーとなる。幼児の手を引き、子を背負う父や母は何を想い参加しているのか。私自身を突き動かしている「わが子を、教え子を決して戦地へやらない」という思いと寸分も違わぬであろう。

 唯一の被爆国である日本の戦争支持決定は、無力感と国民の声が反映されない政治への不信感を募らせ、第三者機関を除外し政府に情報と権限を集中させる諸法案設立に、動員と統制の時代がくることを余儀なくさせられた。戦争経験者の高齢化と戦争を語ることを国の責務としない日本においては、一般市民がよほど厳しく国政をチェックしないと、誤った指導者のもと、戦争にまきこまれる可能性がある。戦争が国家を政治目的を達成するため国民を一つにまとめ、相手への憎悪を必要とすれば、教育とマスメディアがそのために大きな力を担うこととなる。

今を生きる私達が未来をどのように構築するかは、過去の正しい歴史認識の上に根ざさなければならない。過去から何を学び何を伝えていくかは、政治目的のためなら国民を犠牲にすることもありうるとの認識を持つことに他ならない。

衆議院武力行使特別委員会を傍聴し、緊張感のなさと、二院制と言いながら衆議院を通過すれば参議院も野党も無きに等しい状態にあり、記者席の記者がみな居眠りしているのにも驚いた。報道の自由が制限されていた時には、新聞がどんなにその責務を果たそうとしても不可能だった汚辱の歴史を知るべきである。(平岡 敬『希望のヒロシマ ー 市長はうったえる - 岩波新書』

マスメディアによる情報操作によって国民はどうにでも流される。国民を戦地に駆り立てるのも、逆に反戦国際世論をつくるのもマスメディアだとすると、国家でなく人類の側に立つ報道が望まれる。ナチズムの加害性から発したドイツは、同じ過ちを繰り返さぬよう教育の中で語り伝えられるが、原爆による被害性から発した日本は、教育の中で語ることはタブー視される。

母親が小学生の子と傍聴するのを見、必要な教育について考えさせられた。政治家任せ、学校任せのお任せ民主主義は、政治家に主権在民であることを忘れさせる。

 どんなに被爆都市が核兵器廃絶・軍縮に向けて努力しても国政は動かない。アメリカとアジア周辺国の原爆投下に対する日本との認識の違い。日本がアメリカ追随である以上、アメリカ市民を目覚めさせない限り世界平和はないとするグローバル・ピースキャンペーンはまさに原点にたつ運動として評価されるべきである。

被爆国の義務を果たさず、NPTの無期限延長を支持し、ICJ決定にあいまいな態度を取り続ける日本の進むべき道は、放射能後遺症と貧困に苦しむアジア被爆者、従軍慰安婦への謝罪と保障と戦争反対による近隣国との平和共存しかない。

憲法九条で戦争放棄の日本の軍事費は世界第三位。国民の税金で殺人兵器クラスター爆弾を所有し、アメリカの国債を買い、アメリカはそれでイラクを攻撃する。一年間の世界総軍事費7980億ドル(約97兆円 2001年度)を、教育、福祉、核廃絶など平和的、人道的に使用すれば、貧困が原因の戦争はなくなり、生活も潤う。現に永世中立宣言国コスタリカのように軍事費ゼロで貧困から脱出し、経済回復した例もある。

 今後、国民保護法の制定は、国民を規定する時、在日韓国人、朝鮮人などのマイノリティの権利保障問題も伴ってくる。ナチの純血主義思想によるユダヤ人、ジプシー(シンティ・ロマ)、障害者、同性愛者、共産主義者などの大量虐殺。これらはみな普通の人間が加担せざるを得なかった。

一般市民が抗議の声を上げなければ救えないと教えるのは、親、教師、政治家など大人の責任である。障害者、異民族、他宗教、他思想を排除しようとした時、ホロコースト同様のことが起きる。原爆投下された広島は信仰厚い安芸門徒、長崎はクリスチャン。信仰すら戦争に利用される。特攻隊も然り。神風は吹かなかった。

 戦前とは違い、選挙権もあり女性が政治の主体となれる今、いい意味でのフェミニズムを樹立し、軍縮の視点に立って民族・宗教・思想を超え、人々が結びつく為に、私は私のできる限りのことをしていきたいと思っている。
「平和とは、終わりなき 戦いです」(カレン・オルセン)

  『軍縮問題資料 2003,8 No、274 宇都宮軍縮研究室発行』 
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プロフィール

和枝

Author:和枝
 高校教師をやめ、ガーデニングのブログを書くうちに、気づいた小沢問題の陰に潜むマスコミや検察の腐敗をブロガーたちと追究し、小沢一郎氏の無罪判決を得ることができました。

「和順庭の四季おりおり」と題したブログの時から御支持いただいた真実を追究する仲間や冤罪被害者の皆様に支えられ、市民メディア「ツイートテレビ」を立ち上げ、私も生まれ育った東京を離れ、「生活の党と山本太郎と仲間たち」に習い、心機一転、主人の郷里・徳島にてエネルギッシュで常に現実に向き合い情報発信する生活をしています。
 
 それに伴い「和順庭」と名づけた庭も徳島県へ引っ越しました。



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口座名 服部 和枝

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