乳癌 (5) 抗癌剤治療
抗癌剤治療を受けるかどうか、5月2日には放射線治療を終えていたのに結論を出せずに娘の出産で徳島を離れ、さらにセカンドオピニオンを受けたり、抗癌剤治療を受けたがん患者から話を聞いたりしているうちに、受けると決めたときは6月末になっていた。
紹介状を持って国立病院の担当医の勤務する曜日の外来に行った。まだ、抗癌剤治療がこわいという気持ちがあった。抗癌剤の治療を受けることを伝えた。
血管が細く、抗癌剤がもれると皮膚が壊死するということで主治医とは無理ならホルダーをつけると決めていたが、ホルダーをつける際の1日入院や諸注意など説明を受けた後、「手首の血管は細いが肘の内側ならもれることもないから、手術の危険性よりホルダーなしでいったほうがいいでしょう。」と言われ、ホルダーなしで7月1日から普通に点滴をすることに決まった。
抗癌剤治療は、3週間ごとに4サイクル(4回)通院で行う。これから3ヶ月続くのだから、解放されるのは10月になる。それまでどんな日々が続くのか?
一回目の抗癌剤治療 7月1日
血液検査や体重(抗癌剤の投与量は体重による)を測定して、検査結果が出るまで1時間かかるという。待っていても落ち着かず夫の実家へ。1時間して戻ると呼ばれた。血液検査の結果、検査値は基準値内で抗癌剤治療説明を受けた。あらかじめ渡されていた資料についての疑問点などを聞き、抗癌剤の投与量についても確認し、いよいよ抗癌剤を投与することに。
担当医が、点滴の針を刺し、もれていないことを確認。点滴をひきずりながら看護婦さんに案内され病室に行った。
抗癌剤を点滴する部屋ですでに何人かは治療を受けていて、思ったより明るい部屋だった。心配した夫がずっとついててくれ、テレビを見たり、話をしたり、雑誌を読んだりしながらすごした。
2種類の抗癌剤を点滴するので(吐き気止めのデカドロン100mlを入れると3種類。タキソテール250ml・エンドキサン250ml)、朝8時に来たのに、終わったのは午後1時を過ぎて2時近かった。やっと針を抜いて楽になった腕をさすりながら、これからどんな副作用がでるのかと思った。
抗癌剤の点滴中に抗癌剤治療の副作用など注意点についてかなり詳しく丁寧な説明があった。心配なことなども聞くことができ、抗癌剤についての知識が得られ、それまでの漠然とした不安が払拭され、副作用へ具体的にどう対処すればいいかもわかってきた。
点滴して、何か舌の先がしびれるような気がする。3日目ぐらいまでこれといった変化はないが、3日目の午後急にだるくなる。いよいよ来たのかと思った。何か眠れないと思っていたら、翌日はぐっすり眠れた。だるく腰が抜けるような立っているのも辛いようなことが、ときどきある。
5日目口の中がしびれはじめ、それからのどが痛く、味覚がない。口内炎ができているが、口の中がしびれていてどこがどうなっているのかよくわからない。ウイダーインゼリーとおかゆの日が続く。(口内炎は1月5日~12日頃まで続く)。市販の口内炎の薬をつける。
体のあちこちがかゆい。点滴後1週間は便秘ぎみに、それからは下痢ぎみになると聞いていたが、注意するように言われた下痢と発熱はなかった。ただ、排便の回数も増えたからか、デリケートな部分にも何か出来物ができたようで、薬を買って来る。
1月12日口内炎が直ったと思ったら、脱毛が始まる。お風呂で髪を洗うたびに抜ける。ベットのまわりに散る毛をガムテープのついたようなコロコロで取る。
点滴後2週間するとだるさもとれすっかりもとの生活ができるようになった。何でも食べられる。そんなことがとても幸せに思える。3週間のうちの最後の一週間はすっかり元気になり、歯医者へ行ったり、通院したりという用事を済ませる。
二回目の抗癌剤治療 7月22日
一回目の抗癌剤から3週間が経った。この日も通院して血液検査を受ける。γーGTPが56(基準値10~47)、白血球が101(基準値40~90)とやや基準より高いが点滴はできると言われた。
口内炎予防のビタミン剤と塗り薬とかゆみどめの塗り薬、うがい薬を副作用がでたときに備え、処方してもらう。
癌センターなどでは、副作用についてのチェックシートがあって、細かく書けると何かで読んだことがある。この病院では、それがないので、自分の体に起きた副作用については、言って伝えて、指示を仰ぐしかない。担当医には何でも言って聞いてもらうことができたので、安心したが、口に出して言いにくいこともあるので、もう少し考慮してもいいのではないかと思った。
体に起きた変化はすべてメモして伝えた。このときは二回目もまた同じような副作用が出ると思っていた。
しかし、二回目の抗癌剤の副作用は一回目とは違っていた。5日目冷や汗と筋肉痛で立っていられなくなった。点滴後普通に家事をしていたのに、いきなりきた。
翌日は舌がちょっとしびれる。下痢はじまり、ビオフェルミンを飲むとすぐとまった。
ビタミン剤を飲んでいるせいか口内炎もなくだるくて昼寝をするも、普通に食事が取れるので、今度は楽だった。このまま終わるのかと思った。
ところが、8月7日予約してあった放射線治療後3ヶ月のレントゲンに行き、もうすっかり元気で、帰りに銀行や買い物をして帰り、夕食後テレビを見ていると、突然体がかゆくなった。
寝たら直るかと思ったが、このじんましんのようなかゆみは続き、3回目の抗癌剤治療まで続いた。
三回目の抗癌剤治療 8月12日の予定が8月19日に
三回目の抗癌剤治療を受けに行ったが、まだこのとき体中のかゆみに悩まされていた。そのことを話すと「アレルギーだと思うが、薬を飲んで一週間休んだほうがいいでしょう」と言われた。
かゆくて苦しかったからか、血圧もいつもより高かった。
血液検査の結果は、LDH241(119~229が基準値)、白血球121(40~90)と基準値を超えているのもあったが、これぐらいなら投与できると言われた。
このかゆい状態ですることに不安もあったので、一週間延ばすことにした。
もらったアレルギー用の薬を飲むとかゆみがぴたっととまった。
一週間後三回目の抗癌剤治療を受けに行く。血液検査の結果、ALT(GPT)31(基準値6~27)・γーGTP49(10~47)と高く、総タンパク6・5(6.5~8・2)と赤血球373(380~500)が基準値ぎりぎりの数値だったが、予定通り行うことにした。
さらに副作用に備えて、ビタミン剤・下痢止め・アレルギーの薬など処方してもらう。
三回目は三日目からなかなか眠れない。二日ほど眠れぬ日が続き、そして五日目あのだるさがやってきた。舌の先と足の指に軽いしびれがある。ビタミン剤を飲んでいたのに、口内炎もできはじめ(8/25)、あわてて薬をつけ大事には至らなかった。
口内炎が引いた(8/27)と思ったら、夕方寒気がして寝るが21時頃目がさめ、熱を計ると38・4℃あった。38℃以上の熱があったときに飲むように渡されていたとんぷくを飲んだ。22時熱は37・0℃まで下がっていた。足指にしびれがある。
翌28日朝起きて熱を計ると37・2℃だった(6時)が、9時には36・6℃まで下がっていた。熱がでたのははじめてだった。これに下痢が加わり、熱が下がらなければすぐ病院に行かなければと思いながら、熱が上がることはなかった。
熱が落ち着いてほっとしたら、夕食後全身に発疹が出て、アレルギーの薬を飲む。
やっぱり3回目になると、熱が出たり、副作用もあれこれ出て、この先大丈夫なのかと思う。
四回目の抗癌剤治療
最後の抗癌剤治療に行く。γーGTPが76(基準値10~47)と高く、総タンパク6・3(6・5~8・2)・赤血球346(380~500)・ヘモグロビン10、9(11、5~15)・ヘマトクリット33、1(34~45)は基準値に足りていなかったが、点滴は可能という判断だった。
暑さが一段落したからなのか、今度の抗癌剤を点滴してからは副作用はあまりなく、そのかわり昼寝も含めてぐっすり寝ることが多かった。
だるさは3日目ぐらいからやってきた。吐き気止めのステロイド剤を点滴後はいつも飲んでいたが、その薬がきれるとだるくなる。足の指のしびれはあいかわらずとれない。
軽い口内炎はあったものの(9/16~19)、お腹の調子も良く、昼・夜寝続けた。しびれだが気になっていたが、突然涙がとまらなくなった。(9月20日頃から)。外へ出るとひどくなるので、ブタクサなどのアレルギーかとも思った。ヨモギやブタクサの花粉症は秋にもなるらしい。
25日頃から右目の周りに何か黒い点のようなものが飛んで見えるようになった。飛蚊症の症状に似ている。やはり免疫力が落ちたせいなのか?
4サイクルの抗癌剤治療が終わり、いつものかかりつけの医院で抗癌剤治療が済んだ事を伝えた。やっ終わったと思った。眼の異常については眼科へ行ったほうがいいと言われ、眼科へ。飛蚊症で年を取るとなると言われた。涙のことも話、アレルギーの目薬をもらって点眼したら、涙はすぐに止まった。
3週間のうち、だるかったり副作用に悩まされていたのは1週間から10日ほほどで、それを過ぎるといつもどおりの生活ができるというのにも救われた。
家事は普通にこなしたが、立っていられなくなって、朝のお弁当を詰めるのは、夫に手伝ってもらったり、普通に食事ができるときは外食を楽しんだり、無理をしない程度に自分のペースで生活することができた。
味覚がわからなくなり味付けに困ったときもあったが、夫に助けてもらい乗り切ることができた。
1~3回目では途中で体重が減っても最後には元に戻っていたが、4回目は、便秘や下痢などもなく普通に食べて寝てばかりいたので、抗癌剤治療が済んだときには始めたときに比べて2キロほど太ってしまっていた。
おまけにほとんどこの3ヶ月家の中ですごしたので、坂道で息切れがしたり、自転車をこぐのも一苦労だった。
治療の途中から、抗癌剤治療が済んだら旅行に行こうと夫と話していた。それを楽しみに乗り切った。
髪の毛はすっかり抜け、なんだか触るとゴムのような感触でいやだった。ただ不思議と前と後ろに抜けない髪の毛が残っていて、バンダナや帽子をかぶるとあまり目立たずにすんだ。リバーシブルの手ぬぐいなども肌触りがよく、使わなくなればふきんにも利用できて便利だった。
3ヶ月すればまた生えてくるらしい。とにかくやっと終わったと胸をなでおろした。
抗がん剤治療の是非については、副作用も個人差があり、一概にどうすべきとは言えない。抗がん剤の種類も様々で、私の受けたような吐き気などもなく日常生活が過ごせる程度の抗がん剤もあれば、苦しい思いをしてこれならもうやめたほうがどんなに楽かというような抗がん剤もあるだろう。
遺伝子が人それぞれであるように、その人の遺伝子に合う抗がん剤もまた人によって違う。癌になって、とにかくどんな時も自分で結論を出さなければならない場面に出くわす。それもかなり重い選択を迫られる。
病気に対する知識がまだ乏しいのに決めなければならない。必死になって調べ、がん患者からその体験を聞いたり、セカンドオピニオンに尋ねたり。自分の命は自分で守らねばならない。後で後悔しないように。そのときそのときどんな場面でもできるかぎりのことをして決めたいと思ってきた。
「あなたはただ言うことをきいていればよい」というような医者に遭うと、「それならあなたの言うようにしていて本当に私の命を守ってくれるのか」と思う。充分に納得できてはじめて患者もまた治療スタッフの一員として不安なく治療を受けることができるのだ。
癌になって、癌経験のある医師や看護婦ならこの気持ちはわかってくれるだろうとどれだけ思ったか。普通なら手術をしてとれば終わるが、癌はこのときから始まりそれはいつまで続くともわからない。
不安な中で生きるために懸命に探す道はどこまで続いているのだろうか?
紹介状を持って国立病院の担当医の勤務する曜日の外来に行った。まだ、抗癌剤治療がこわいという気持ちがあった。抗癌剤の治療を受けることを伝えた。
血管が細く、抗癌剤がもれると皮膚が壊死するということで主治医とは無理ならホルダーをつけると決めていたが、ホルダーをつける際の1日入院や諸注意など説明を受けた後、「手首の血管は細いが肘の内側ならもれることもないから、手術の危険性よりホルダーなしでいったほうがいいでしょう。」と言われ、ホルダーなしで7月1日から普通に点滴をすることに決まった。
抗癌剤治療は、3週間ごとに4サイクル(4回)通院で行う。これから3ヶ月続くのだから、解放されるのは10月になる。それまでどんな日々が続くのか?
一回目の抗癌剤治療 7月1日
血液検査や体重(抗癌剤の投与量は体重による)を測定して、検査結果が出るまで1時間かかるという。待っていても落ち着かず夫の実家へ。1時間して戻ると呼ばれた。血液検査の結果、検査値は基準値内で抗癌剤治療説明を受けた。あらかじめ渡されていた資料についての疑問点などを聞き、抗癌剤の投与量についても確認し、いよいよ抗癌剤を投与することに。
担当医が、点滴の針を刺し、もれていないことを確認。点滴をひきずりながら看護婦さんに案内され病室に行った。
抗癌剤を点滴する部屋ですでに何人かは治療を受けていて、思ったより明るい部屋だった。心配した夫がずっとついててくれ、テレビを見たり、話をしたり、雑誌を読んだりしながらすごした。
2種類の抗癌剤を点滴するので(吐き気止めのデカドロン100mlを入れると3種類。タキソテール250ml・エンドキサン250ml)、朝8時に来たのに、終わったのは午後1時を過ぎて2時近かった。やっと針を抜いて楽になった腕をさすりながら、これからどんな副作用がでるのかと思った。
抗癌剤の点滴中に抗癌剤治療の副作用など注意点についてかなり詳しく丁寧な説明があった。心配なことなども聞くことができ、抗癌剤についての知識が得られ、それまでの漠然とした不安が払拭され、副作用へ具体的にどう対処すればいいかもわかってきた。
点滴して、何か舌の先がしびれるような気がする。3日目ぐらいまでこれといった変化はないが、3日目の午後急にだるくなる。いよいよ来たのかと思った。何か眠れないと思っていたら、翌日はぐっすり眠れた。だるく腰が抜けるような立っているのも辛いようなことが、ときどきある。
5日目口の中がしびれはじめ、それからのどが痛く、味覚がない。口内炎ができているが、口の中がしびれていてどこがどうなっているのかよくわからない。ウイダーインゼリーとおかゆの日が続く。(口内炎は1月5日~12日頃まで続く)。市販の口内炎の薬をつける。
体のあちこちがかゆい。点滴後1週間は便秘ぎみに、それからは下痢ぎみになると聞いていたが、注意するように言われた下痢と発熱はなかった。ただ、排便の回数も増えたからか、デリケートな部分にも何か出来物ができたようで、薬を買って来る。
1月12日口内炎が直ったと思ったら、脱毛が始まる。お風呂で髪を洗うたびに抜ける。ベットのまわりに散る毛をガムテープのついたようなコロコロで取る。
点滴後2週間するとだるさもとれすっかりもとの生活ができるようになった。何でも食べられる。そんなことがとても幸せに思える。3週間のうちの最後の一週間はすっかり元気になり、歯医者へ行ったり、通院したりという用事を済ませる。
二回目の抗癌剤治療 7月22日
一回目の抗癌剤から3週間が経った。この日も通院して血液検査を受ける。γーGTPが56(基準値10~47)、白血球が101(基準値40~90)とやや基準より高いが点滴はできると言われた。
口内炎予防のビタミン剤と塗り薬とかゆみどめの塗り薬、うがい薬を副作用がでたときに備え、処方してもらう。
癌センターなどでは、副作用についてのチェックシートがあって、細かく書けると何かで読んだことがある。この病院では、それがないので、自分の体に起きた副作用については、言って伝えて、指示を仰ぐしかない。担当医には何でも言って聞いてもらうことができたので、安心したが、口に出して言いにくいこともあるので、もう少し考慮してもいいのではないかと思った。
体に起きた変化はすべてメモして伝えた。このときは二回目もまた同じような副作用が出ると思っていた。
しかし、二回目の抗癌剤の副作用は一回目とは違っていた。5日目冷や汗と筋肉痛で立っていられなくなった。点滴後普通に家事をしていたのに、いきなりきた。
翌日は舌がちょっとしびれる。下痢はじまり、ビオフェルミンを飲むとすぐとまった。
ビタミン剤を飲んでいるせいか口内炎もなくだるくて昼寝をするも、普通に食事が取れるので、今度は楽だった。このまま終わるのかと思った。
ところが、8月7日予約してあった放射線治療後3ヶ月のレントゲンに行き、もうすっかり元気で、帰りに銀行や買い物をして帰り、夕食後テレビを見ていると、突然体がかゆくなった。
寝たら直るかと思ったが、このじんましんのようなかゆみは続き、3回目の抗癌剤治療まで続いた。
三回目の抗癌剤治療 8月12日の予定が8月19日に
三回目の抗癌剤治療を受けに行ったが、まだこのとき体中のかゆみに悩まされていた。そのことを話すと「アレルギーだと思うが、薬を飲んで一週間休んだほうがいいでしょう」と言われた。
かゆくて苦しかったからか、血圧もいつもより高かった。
血液検査の結果は、LDH241(119~229が基準値)、白血球121(40~90)と基準値を超えているのもあったが、これぐらいなら投与できると言われた。
このかゆい状態ですることに不安もあったので、一週間延ばすことにした。
もらったアレルギー用の薬を飲むとかゆみがぴたっととまった。
一週間後三回目の抗癌剤治療を受けに行く。血液検査の結果、ALT(GPT)31(基準値6~27)・γーGTP49(10~47)と高く、総タンパク6・5(6.5~8・2)と赤血球373(380~500)が基準値ぎりぎりの数値だったが、予定通り行うことにした。
さらに副作用に備えて、ビタミン剤・下痢止め・アレルギーの薬など処方してもらう。
三回目は三日目からなかなか眠れない。二日ほど眠れぬ日が続き、そして五日目あのだるさがやってきた。舌の先と足の指に軽いしびれがある。ビタミン剤を飲んでいたのに、口内炎もできはじめ(8/25)、あわてて薬をつけ大事には至らなかった。
口内炎が引いた(8/27)と思ったら、夕方寒気がして寝るが21時頃目がさめ、熱を計ると38・4℃あった。38℃以上の熱があったときに飲むように渡されていたとんぷくを飲んだ。22時熱は37・0℃まで下がっていた。足指にしびれがある。
翌28日朝起きて熱を計ると37・2℃だった(6時)が、9時には36・6℃まで下がっていた。熱がでたのははじめてだった。これに下痢が加わり、熱が下がらなければすぐ病院に行かなければと思いながら、熱が上がることはなかった。
熱が落ち着いてほっとしたら、夕食後全身に発疹が出て、アレルギーの薬を飲む。
やっぱり3回目になると、熱が出たり、副作用もあれこれ出て、この先大丈夫なのかと思う。
四回目の抗癌剤治療
最後の抗癌剤治療に行く。γーGTPが76(基準値10~47)と高く、総タンパク6・3(6・5~8・2)・赤血球346(380~500)・ヘモグロビン10、9(11、5~15)・ヘマトクリット33、1(34~45)は基準値に足りていなかったが、点滴は可能という判断だった。
暑さが一段落したからなのか、今度の抗癌剤を点滴してからは副作用はあまりなく、そのかわり昼寝も含めてぐっすり寝ることが多かった。
だるさは3日目ぐらいからやってきた。吐き気止めのステロイド剤を点滴後はいつも飲んでいたが、その薬がきれるとだるくなる。足の指のしびれはあいかわらずとれない。
軽い口内炎はあったものの(9/16~19)、お腹の調子も良く、昼・夜寝続けた。しびれだが気になっていたが、突然涙がとまらなくなった。(9月20日頃から)。外へ出るとひどくなるので、ブタクサなどのアレルギーかとも思った。ヨモギやブタクサの花粉症は秋にもなるらしい。
25日頃から右目の周りに何か黒い点のようなものが飛んで見えるようになった。飛蚊症の症状に似ている。やはり免疫力が落ちたせいなのか?
4サイクルの抗癌剤治療が終わり、いつものかかりつけの医院で抗癌剤治療が済んだ事を伝えた。やっ終わったと思った。眼の異常については眼科へ行ったほうがいいと言われ、眼科へ。飛蚊症で年を取るとなると言われた。涙のことも話、アレルギーの目薬をもらって点眼したら、涙はすぐに止まった。
3週間のうち、だるかったり副作用に悩まされていたのは1週間から10日ほほどで、それを過ぎるといつもどおりの生活ができるというのにも救われた。
家事は普通にこなしたが、立っていられなくなって、朝のお弁当を詰めるのは、夫に手伝ってもらったり、普通に食事ができるときは外食を楽しんだり、無理をしない程度に自分のペースで生活することができた。
味覚がわからなくなり味付けに困ったときもあったが、夫に助けてもらい乗り切ることができた。
1~3回目では途中で体重が減っても最後には元に戻っていたが、4回目は、便秘や下痢などもなく普通に食べて寝てばかりいたので、抗癌剤治療が済んだときには始めたときに比べて2キロほど太ってしまっていた。
おまけにほとんどこの3ヶ月家の中ですごしたので、坂道で息切れがしたり、自転車をこぐのも一苦労だった。
治療の途中から、抗癌剤治療が済んだら旅行に行こうと夫と話していた。それを楽しみに乗り切った。
髪の毛はすっかり抜け、なんだか触るとゴムのような感触でいやだった。ただ不思議と前と後ろに抜けない髪の毛が残っていて、バンダナや帽子をかぶるとあまり目立たずにすんだ。リバーシブルの手ぬぐいなども肌触りがよく、使わなくなればふきんにも利用できて便利だった。
3ヶ月すればまた生えてくるらしい。とにかくやっと終わったと胸をなでおろした。
抗がん剤治療の是非については、副作用も個人差があり、一概にどうすべきとは言えない。抗がん剤の種類も様々で、私の受けたような吐き気などもなく日常生活が過ごせる程度の抗がん剤もあれば、苦しい思いをしてこれならもうやめたほうがどんなに楽かというような抗がん剤もあるだろう。
遺伝子が人それぞれであるように、その人の遺伝子に合う抗がん剤もまた人によって違う。癌になって、とにかくどんな時も自分で結論を出さなければならない場面に出くわす。それもかなり重い選択を迫られる。
病気に対する知識がまだ乏しいのに決めなければならない。必死になって調べ、がん患者からその体験を聞いたり、セカンドオピニオンに尋ねたり。自分の命は自分で守らねばならない。後で後悔しないように。そのときそのときどんな場面でもできるかぎりのことをして決めたいと思ってきた。
「あなたはただ言うことをきいていればよい」というような医者に遭うと、「それならあなたの言うようにしていて本当に私の命を守ってくれるのか」と思う。充分に納得できてはじめて患者もまた治療スタッフの一員として不安なく治療を受けることができるのだ。
癌になって、癌経験のある医師や看護婦ならこの気持ちはわかってくれるだろうとどれだけ思ったか。普通なら手術をしてとれば終わるが、癌はこのときから始まりそれはいつまで続くともわからない。
不安な中で生きるために懸命に探す道はどこまで続いているのだろうか?
スポンサーサイト