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乳癌 (6)  ホルモン治療

 やっと抗がん剤治療が済み、ホルモン剤による治療が始る。主治医からは、抗癌剤の副作用については聞かされていたが、ホルモン剤の副作用はないと言われていた。

ところが抗癌剤の治療中に、徳島新聞にホルモン剤の副作用がきつくて治療をやめる人がかなりいるという記事が掲載された。ホルモン剤は副作用がないと思っていたので、我が眼を疑った。それでも私の飲むホルモン剤には副作用がないと信じていた。

 ところが、抗癌剤の治療が終わり、ホルモン治療の説明を受けに行ったとき、閉経してない場合は、ノルマディックス、閉経しているときにはアリミデックス、アロマシンを一日一錠5年服用するが、アリミデックスかアロマシンには副作用があり、その中でも個人差はあるが、関節痛がかなりきつく出ると言われた。この関節痛は防ぎようがないとも。

生理がなくなってもう6~7年経っているので、たぶんこの副作用のあるアリミデックスかアロマシンになるだろう。抗癌剤さえ終われば、副作用もない飲み薬だけと思っていたので、体中から力が抜けるようだった。

まだ、しびれが残っているのに、今度は関節痛までと思うと不安になった。

この日は、閉経しているかどうか調べる血液検査を受け、一週間後に聞きに行くことになった。

 結果が出るまでも、この副作用のことを考えていた。そんなにこの関節痛は辛いのだろうか?
がん患者のピンクリボンの集まりがあり、出席して聞いてみた。

かなりの人がこのアリミデックス・アロマシンを飲んでいるが、やはりほとんどの人が関節にくるということだった。中には関節が痛くて、ペットボトルの蓋もあけられなくなり、薬を変えてもらったという人もいた。

歩くのもきつくて治療をやめようかと思うという患者さんもいた。聞けば聞くほど不安になった。

 検査結果が出て、生理はないのにまだ卵巣からホルモンが出ているので、ノルマディックスと言われた。生理が何年もないのに閉経してない?というのには驚きだったが、ちょっとほっとした。

ただ、この薬は子宮体癌になる可能性があるので、定期的に検査を受けなければならない。

1~1年半この薬を飲んで、閉経したらアリミデックスかアロマシンにすることになった。

指示されたように、コレストロールを下げ骨を強くする食事に心がけ、癌の増殖を防ぐためにも皮下脂肪がつかないよう、できるだけ運動することにしている。
 
ノルマデックスを毎朝一錠飲んでいるが、副作用もなくなんら困ることなく生活している。

テーマ : 乳がん
ジャンル : 心と身体

乳癌 (5) 抗癌剤治療

 抗癌剤治療を受けるかどうか、5月2日には放射線治療を終えていたのに結論を出せずに娘の出産で徳島を離れ、さらにセカンドオピニオンを受けたり、抗癌剤治療を受けたがん患者から話を聞いたりしているうちに、受けると決めたときは6月末になっていた。

 紹介状を持って国立病院の担当医の勤務する曜日の外来に行った。まだ、抗癌剤治療がこわいという気持ちがあった。抗癌剤の治療を受けることを伝えた。

血管が細く、抗癌剤がもれると皮膚が壊死するということで主治医とは無理ならホルダーをつけると決めていたが、ホルダーをつける際の1日入院や諸注意など説明を受けた後、「手首の血管は細いが肘の内側ならもれることもないから、手術の危険性よりホルダーなしでいったほうがいいでしょう。」と言われ、ホルダーなしで7月1日から普通に点滴をすることに決まった。

 抗癌剤治療は、3週間ごとに4サイクル(4回)通院で行う。これから3ヶ月続くのだから、解放されるのは10月になる。それまでどんな日々が続くのか?


一回目の抗癌剤治療  7月1日

血液検査や体重(抗癌剤の投与量は体重による)を測定して、検査結果が出るまで1時間かかるという。待っていても落ち着かず夫の実家へ。1時間して戻ると呼ばれた。血液検査の結果、検査値は基準値内で抗癌剤治療説明を受けた。あらかじめ渡されていた資料についての疑問点などを聞き、抗癌剤の投与量についても確認し、いよいよ抗癌剤を投与することに。

担当医が、点滴の針を刺し、もれていないことを確認。点滴をひきずりながら看護婦さんに案内され病室に行った。

抗癌剤を点滴する部屋ですでに何人かは治療を受けていて、思ったより明るい部屋だった。心配した夫がずっとついててくれ、テレビを見たり、話をしたり、雑誌を読んだりしながらすごした。

2種類の抗癌剤を点滴するので(吐き気止めのデカドロン100mlを入れると3種類。タキソテール250ml・エンドキサン250ml)、朝8時に来たのに、終わったのは午後1時を過ぎて2時近かった。やっと針を抜いて楽になった腕をさすりながら、これからどんな副作用がでるのかと思った。

抗癌剤の点滴中に抗癌剤治療の副作用など注意点についてかなり詳しく丁寧な説明があった。心配なことなども聞くことができ、抗癌剤についての知識が得られ、それまでの漠然とした不安が払拭され、副作用へ具体的にどう対処すればいいかもわかってきた。

 点滴して、何か舌の先がしびれるような気がする。3日目ぐらいまでこれといった変化はないが、3日目の午後急にだるくなる。いよいよ来たのかと思った。何か眠れないと思っていたら、翌日はぐっすり眠れた。だるく腰が抜けるような立っているのも辛いようなことが、ときどきある。

5日目口の中がしびれはじめ、それからのどが痛く、味覚がない。口内炎ができているが、口の中がしびれていてどこがどうなっているのかよくわからない。ウイダーインゼリーとおかゆの日が続く。(口内炎は1月5日~12日頃まで続く)。市販の口内炎の薬をつける。

体のあちこちがかゆい。点滴後1週間は便秘ぎみに、それからは下痢ぎみになると聞いていたが、注意するように言われた下痢と発熱はなかった。ただ、排便の回数も増えたからか、デリケートな部分にも何か出来物ができたようで、薬を買って来る。
 
1月12日口内炎が直ったと思ったら、脱毛が始まる。お風呂で髪を洗うたびに抜ける。ベットのまわりに散る毛をガムテープのついたようなコロコロで取る。

点滴後2週間するとだるさもとれすっかりもとの生活ができるようになった。何でも食べられる。そんなことがとても幸せに思える。3週間のうちの最後の一週間はすっかり元気になり、歯医者へ行ったり、通院したりという用事を済ませる。



二回目の抗癌剤治療  7月22日


一回目の抗癌剤から3週間が経った。この日も通院して血液検査を受ける。γーGTPが56(基準値10~47)、白血球が101(基準値40~90)とやや基準より高いが点滴はできると言われた。

口内炎予防のビタミン剤と塗り薬とかゆみどめの塗り薬、うがい薬を副作用がでたときに備え、処方してもらう。

癌センターなどでは、副作用についてのチェックシートがあって、細かく書けると何かで読んだことがある。この病院では、それがないので、自分の体に起きた副作用については、言って伝えて、指示を仰ぐしかない。担当医には何でも言って聞いてもらうことができたので、安心したが、口に出して言いにくいこともあるので、もう少し考慮してもいいのではないかと思った。

体に起きた変化はすべてメモして伝えた。このときは二回目もまた同じような副作用が出ると思っていた。

 しかし、二回目の抗癌剤の副作用は一回目とは違っていた。5日目冷や汗と筋肉痛で立っていられなくなった。点滴後普通に家事をしていたのに、いきなりきた。

翌日は舌がちょっとしびれる。下痢はじまり、ビオフェルミンを飲むとすぐとまった。

ビタミン剤を飲んでいるせいか口内炎もなくだるくて昼寝をするも、普通に食事が取れるので、今度は楽だった。このまま終わるのかと思った。

ところが、8月7日予約してあった放射線治療後3ヶ月のレントゲンに行き、もうすっかり元気で、帰りに銀行や買い物をして帰り、夕食後テレビを見ていると、突然体がかゆくなった。

寝たら直るかと思ったが、このじんましんのようなかゆみは続き、3回目の抗癌剤治療まで続いた。



 三回目の抗癌剤治療  8月12日の予定が8月19日に

三回目の抗癌剤治療を受けに行ったが、まだこのとき体中のかゆみに悩まされていた。そのことを話すと「アレルギーだと思うが、薬を飲んで一週間休んだほうがいいでしょう」と言われた。

かゆくて苦しかったからか、血圧もいつもより高かった。

血液検査の結果は、LDH241(119~229が基準値)、白血球121(40~90)と基準値を超えているのもあったが、これぐらいなら投与できると言われた。

このかゆい状態ですることに不安もあったので、一週間延ばすことにした。
もらったアレルギー用の薬を飲むとかゆみがぴたっととまった。

一週間後三回目の抗癌剤治療を受けに行く。血液検査の結果、ALT(GPT)31(基準値6~27)・γーGTP49(10~47)と高く、総タンパク6・5(6.5~8・2)と赤血球373(380~500)が基準値ぎりぎりの数値だったが、予定通り行うことにした。

さらに副作用に備えて、ビタミン剤・下痢止め・アレルギーの薬など処方してもらう。

三回目は三日目からなかなか眠れない。二日ほど眠れぬ日が続き、そして五日目あのだるさがやってきた。舌の先と足の指に軽いしびれがある。ビタミン剤を飲んでいたのに、口内炎もできはじめ(8/25)、あわてて薬をつけ大事には至らなかった。

口内炎が引いた(8/27)と思ったら、夕方寒気がして寝るが21時頃目がさめ、熱を計ると38・4℃あった。38℃以上の熱があったときに飲むように渡されていたとんぷくを飲んだ。22時熱は37・0℃まで下がっていた。足指にしびれがある。

翌28日朝起きて熱を計ると37・2℃だった(6時)が、9時には36・6℃まで下がっていた。熱がでたのははじめてだった。これに下痢が加わり、熱が下がらなければすぐ病院に行かなければと思いながら、熱が上がることはなかった。

熱が落ち着いてほっとしたら、夕食後全身に発疹が出て、アレルギーの薬を飲む。

やっぱり3回目になると、熱が出たり、副作用もあれこれ出て、この先大丈夫なのかと思う。



四回目の抗癌剤治療

最後の抗癌剤治療に行く。γーGTPが76(基準値10~47)と高く、総タンパク6・3(6・5~8・2)・赤血球346(380~500)・ヘモグロビン10、9(11、5~15)・ヘマトクリット33、1(34~45)は基準値に足りていなかったが、点滴は可能という判断だった。

暑さが一段落したからなのか、今度の抗癌剤を点滴してからは副作用はあまりなく、そのかわり昼寝も含めてぐっすり寝ることが多かった。

だるさは3日目ぐらいからやってきた。吐き気止めのステロイド剤を点滴後はいつも飲んでいたが、その薬がきれるとだるくなる。足の指のしびれはあいかわらずとれない。

軽い口内炎はあったものの(9/16~19)、お腹の調子も良く、昼・夜寝続けた。しびれだが気になっていたが、突然涙がとまらなくなった。(9月20日頃から)。外へ出るとひどくなるので、ブタクサなどのアレルギーかとも思った。ヨモギやブタクサの花粉症は秋にもなるらしい。

25日頃から右目の周りに何か黒い点のようなものが飛んで見えるようになった。飛蚊症の症状に似ている。やはり免疫力が落ちたせいなのか?

4サイクルの抗癌剤治療が終わり、いつものかかりつけの医院で抗癌剤治療が済んだ事を伝えた。やっ終わったと思った。眼の異常については眼科へ行ったほうがいいと言われ、眼科へ。飛蚊症で年を取るとなると言われた。涙のことも話、アレルギーの目薬をもらって点眼したら、涙はすぐに止まった。

3週間のうち、だるかったり副作用に悩まされていたのは1週間から10日ほほどで、それを過ぎるといつもどおりの生活ができるというのにも救われた。

家事は普通にこなしたが、立っていられなくなって、朝のお弁当を詰めるのは、夫に手伝ってもらったり、普通に食事ができるときは外食を楽しんだり、無理をしない程度に自分のペースで生活することができた。

味覚がわからなくなり味付けに困ったときもあったが、夫に助けてもらい乗り切ることができた。

1~3回目では途中で体重が減っても最後には元に戻っていたが、4回目は、便秘や下痢などもなく普通に食べて寝てばかりいたので、抗癌剤治療が済んだときには始めたときに比べて2キロほど太ってしまっていた。

おまけにほとんどこの3ヶ月家の中ですごしたので、坂道で息切れがしたり、自転車をこぐのも一苦労だった。

治療の途中から、抗癌剤治療が済んだら旅行に行こうと夫と話していた。それを楽しみに乗り切った。

髪の毛はすっかり抜け、なんだか触るとゴムのような感触でいやだった。ただ不思議と前と後ろに抜けない髪の毛が残っていて、バンダナや帽子をかぶるとあまり目立たずにすんだ。リバーシブルの手ぬぐいなども肌触りがよく、使わなくなればふきんにも利用できて便利だった。

3ヶ月すればまた生えてくるらしい。とにかくやっと終わったと胸をなでおろした。

抗がん剤治療の是非については、副作用も個人差があり、一概にどうすべきとは言えない。抗がん剤の種類も様々で、私の受けたような吐き気などもなく日常生活が過ごせる程度の抗がん剤もあれば、苦しい思いをしてこれならもうやめたほうがどんなに楽かというような抗がん剤もあるだろう。

遺伝子が人それぞれであるように、その人の遺伝子に合う抗がん剤もまた人によって違う。癌になって、とにかくどんな時も自分で結論を出さなければならない場面に出くわす。それもかなり重い選択を迫られる。

病気に対する知識がまだ乏しいのに決めなければならない。必死になって調べ、がん患者からその体験を聞いたり、セカンドオピニオンに尋ねたり。自分の命は自分で守らねばならない。後で後悔しないように。そのときそのときどんな場面でもできるかぎりのことをして決めたいと思ってきた。

「あなたはただ言うことをきいていればよい」というような医者に遭うと、「それならあなたの言うようにしていて本当に私の命を守ってくれるのか」と思う。充分に納得できてはじめて患者もまた治療スタッフの一員として不安なく治療を受けることができるのだ。

癌になって、癌経験のある医師や看護婦ならこの気持ちはわかってくれるだろうとどれだけ思ったか。普通なら手術をしてとれば終わるが、癌はこのときから始まりそれはいつまで続くともわからない。

不安な中で生きるために懸命に探す道はどこまで続いているのだろうか?

テーマ : 乳がん
ジャンル : 心と身体

乳癌 (4)抗がん剤治療に悩む(セカンドオピニオンへ)

5月2日に放射線治療が終わり、娘の出産でしばらく徳島を離れている間も、抗癌剤治療をどうしょうかと悩んでいた。

私の遺伝子はホルモン治療が効くタイプなので、切除手術・放射線治療・ホルモン治療だけで抗癌剤をしなければ生存率80%、抗癌剤によってさらに0~10%上乗せできると言われていた。

リンパに転移すると癌細胞が全身にまわっている可能性があること、切除した癌が端までいっていて取りきれず残っている可能性もあり、何より遺伝子の増殖率が高いので、主治医からは抗癌剤治療をすすめられていた。

抗癌剤治療については、近藤誠医師の「医者に殺されない47の心得 」、ジャーナリスト船瀬俊介氏の「抗ガン剤で殺される」などの著書だけでなく、ネット情報にはその危険性を指摘するものがあふれていた。

医者に抗癌剤をすすめられながら、また別の医者の医者は「抗癌剤で殺される」という。

癌患者にしてみたら、これほど判断に迷うことはない。たぶん、みなその立場になったら悩むと思う。

特に、近藤誠医師の「医者に殺されない47の心得 」は、乳房温存療法を確立した功績は認められても、抗癌剤治療について書かれている部分は、首をかしげることも多かった。

 なかなか結論が出せない日が続き、それでもやはり納得した上で治療を受けたいとの思いから、セカンドオピニオンを受けることにした。放射線治療が終わってから、すでに1ヶ月以上もの月日が経過していた。

幸いにも「納得した上で抗癌剤治療を受けたいのでセカンドオピニオンを受ける」という私の申し出を主治医は快く許し、病院への予約、紹介状や病状についてのデーターを送付する手続きをするように指示して下さった。

セカンドオピニオン制度は、保険が適用されず自費で相談時間によって料金が変わる。30分まで10500円、30分を超えて45分まで12750円、45分を超えて60分まで15000円で、それ以降も15分毎に2250円が加算される仕組みだ。

そして、6月5日(水)徳島から比較的近い所にある癌センターを夫と訪れた。あらかじめ主治医から紹介状をもらい、私の病状についてのデーターを送付してもらって、予約した日時に行った。

乳腺外科は、水曜日の午前中が相談日に当てられ、担当医も決まっている。

癌センターの受付で、必要事項を記入し、紹介状を渡して、指示された診察室の廊下で待っていた。 

予約時間を30分ぐらい過ぎた頃、呼ばれて相談室に入った。ベテランであろうと思われる医師と看護婦さんがいた。

「どういうことで来られましたか?」というようなことを聞かれ、今までの経過と0%かもしれない抗癌剤の必要性について疑問を話した。

浸潤性乳菅癌で摘出したしこりは3cmほどだが端まで癌細胞があり、取りきれていない可能性があること、見張りリンパと呼ばれるリンパ節に転移があり(8個摘出したリンパのうちの1個にだけ転移が認められた)、女性ホルモン受容体エストロゲンレセプターはプラス、プロゲステロンもプラス、アクセル役のハーセプチンがマイナス、増殖率が33%という遺伝子検査の結果も伝えた。

その医師は、おだやかで信頼できる口調で、これまでのデーターと遺伝子検査の結果から、抗癌剤による再発率がどれぐらい抑えられるか、0%ということはなく効果はあるなどということを話された。

抗癌剤の副作用のことや、抗癌剤の種類についての意見も聞くことができた。

 主治医の診察は、混んでいるからか時間を制約されているようで、疑問があっても何もかも聞くことができないで言われたままをただ「はい」と受け止めて帰り、治療は進むが気持ちが追いつかないでいた。

その乗せられたレールについて何の疑問も持たずにいたら、今頃は抗癌剤治療をすでにしていたのにと思いながらも、本を読み、ネットで調べれば調べるほど納得できずにいた。

自分がその立場になったのでなければ、他の人にはきっとそれまでの知識からだけだったら「抗癌剤はやめたほうがよい」と言っていたかもしれない。自分がなってはじめて岐路に立たされた。

ふらふら思い悩みながら、このセカンドオピニオンによって、話しているうちにだんだん自分の気持ちの整理もできていったといってもよい。

リンパに転移していなければ抗癌剤をすることもないが、リンパ転移があり増殖率が高ければやはり、標準治療として再発を防ぐためにも抗癌剤を用いたほうがいいという結論だった。

 癌センターだから標準治療に沿ってのアドバイスになるだろうことはわかっていた。だが、なぜ抗癌剤をしたほうがいいのかということについて納得できるまで話し、一時的に癌細胞を押さえ込んでも癌細胞に耐性ができるのではないかという心配も伝えた。「私のような乳癌で今まで直った人はいますか?」の問いに「いっぱいいるよ!今は先が見えないから辛いかもしれないけれど、一年経ったときにはきっと抗癌剤をしてよかったと思うはずだ。」という言葉を聞いたとき、私の心は決まっていた。

廊下に出てからも、さらに詳しく看護婦さんからの注意事項や説明があり、そのようなやりとりを通して、私の心はただ抗癌剤がこわいという気持ちから治療として抗癌剤を取り入れようという気持ちに変わっていった。

癌になってはじめてちょっと晴れ晴れとした気持ちになった。不安で落ち込んでいた気持ちがすっきりした。これから待ち受けるであろう抗癌剤治療への迷いはなくなっていた。

 後日、主治医にセカンドオピニオンの結果、抗癌剤治療を受けることを伝えた。

セカンドオピニオンでは、主治医が勧めるタキソテールとエンドキサンという抗癌剤より心臓に負担はあるが効果のある別の抗癌剤をすすめられていた。そのことを話し、相談の結果、私の年を考えて心臓への負担のかからないタキソテール・エンドキサンのTC療法にするということになった。

 セカンドオピニオンのように、ひとりの患者に医師と看護婦が充分耳を傾けて応対してくれる。これが本来の医療なのだろうが、これには保険が利かない。時間を気にせず話して、相談室を出たときには、45分ぐらい経っていて、心の治療代は高額だったが、これがなければ私はまだ闇の中、結論が出せず、さまよっていただろう。

テーマ : 乳がん
ジャンル : 心と身体

乳癌 (3)放射線治療

 癌切除手術が済むと、治療としては、放射線治療・抗がん剤治療、ホルモン治療と進む。

私もまた主治医に言われるまま、30回の放射線治療に大学病院まで通うこととなった。

 徳島に来て、車のない生活がどれだけ不便か身に沁みた。東京では、交通網が整備されているため、不自由だと感じたことがなかった。車はあって月2万の駐車代を払ってはいたが、どうしても利用しなければならないという必要性はなかった。土日に郊外へ出かけたり、買い物に行ったりするぐらいで、生活になくてはならぬという必需品ではない。

 徳島に来た昨年、暑いときだったからか歩いている人も自転車もほとんど見かけなかった。駅に行けば賑やかなのかと行ってみて驚いた。店もなければ人もいない。汽車(電車はない)も一時間に何本かしかない。

 東京から乗ってきた車一台しかないうちは、夫が仕事のために車で行ってしまうと交通手段は、自転車か歩くしかない。

 大学病院までの道のりを毎日自転車で通うこととなり、3月18日から5月2日まで、30回の放射線治療を受けた。

この時、私は癌という病気になったという事実に動揺していた。テレビをつければ、癌で亡くなったというニュースばかり流れるようで、「これからどうなるのだろう。どうすればいいのだろう」という不安に押しつぶされそうだった。

病院の廊下を歩いていても、何も徳島について知らないという不安で涙がこぼれそうだった。

廊下に貼ってある癌患者への案内を止まって見ることさえも、私は癌患者だと知られるようでいやだった。今思うと、私はまだこの時も自分が癌患者であるという事実を認めたくなかったのだ。

「2人に1人は癌になる時代」という文字に目に留まる。それだけかかる人がいるのに、癌患者のほうへは分類されたくないと思ってしまう。しこりが癌だったとはっきり告げられても、気持ちが追いついていかない。

放射線の受付から放射線待合室が離れていて、この待合室の近くにナースステーションのように何かあっても聞けるところがない。待たされるだけ待たされても呼ばれないとき、ほんとうに不安になった。はじめて来てどんな病院かもわからず、この病院で大丈夫なのかというという心配に襲われる。

非常に不安定な気持ちで、放射線治療に臨んだ。放射時間は5分もないぐらいで、痛くもなんともない。ただ横たわっているだけ。

だけどなんとなく目を開けたら放射線を浴びるような気がして、最初は目も開けられなかった。ぎゅーと目をつむって照射されるのを待っている。そのうち目を開けていても大丈夫だということがわかって、体の力を抜いて臨めるようになった。

 この頃、私は不安を払拭するように、癌克服について書かれている本を読みあさった。食事療法や再発・増殖予防のため、何かできる手がかりが欲しかった。ただ、言われるままに自分の気持ちが追いつかずに治療に身をゆだねるのではなく、治療を受けながらも、自分も何かしていると思える時を過ごしたいと思った。

このときの言いようのない不安を払拭するためには、どうしても自分も前向きに参加できると思える手がかりが欲しかった。

 分類すれば東洋医学、西洋医学、読めば読むほどどちらも同じところへたどり着いていくように思えた。

これらの本から得た知識について、誰かと話がしたいと思った。特に癌患者と。

 この頃、私は、癌が低体温で増殖し、癌にとっては居心地のいい温度で、癌を増殖・再発させないためには体温を上げること。そのためには、体を温める食品をとることだと思って、動物性たんぱく質から植物性たんぱく質へ変えていた。(詳しくはまた述べることにします)

だけどそのことについて、知識を得れば得るほど、聞いてもらいたいと思うようになった。お医者さんに言っても、「肥満にならなければ何を食べてもいい」と言われて、自分のしていることが正しいのかも揺らいでいた。

 そんな時、放射線治療で通っていた病院の廊下で、癌サロンの案内を目にし、どうしてもそのチラシが見たいと思った。今となれば不思議だが、そのチラシをどうしてもとることができない。その案内の前を行ったり来たりしながら、意を決してそれを取るまでには、随分経っていた。

 そして、はじめて徳島で身内以外の人達の集まりに参加することになった。

思わず今までの我慢してきた思いを吐き出して、この日から私はやっと自分ががん患者だと自他ともに認められるようになったのだ。

 何回か参加するうちに、これから受けようかどうしようかと悩んでいる抗がん剤についての体験を聞くこともできた。何よりひとりで抱えていた不安が話をすることで胸のつかえがとれたように楽に軽くなる。

 そのうちに放射線治療中の医師への不安など、思い切って話すことでどれだけ安心できるかだけでなく、言うことで、病院の患者に対する態勢も変わると思えるようになった。

つまり、このときから医者も看護士も自分もそれをとりまく人たちといっしょに治療にあたっていると思えるようになった。

 この放射線治療に通うための自転車での往復は、気分転換と適度な運動と気持ちをリフレッシュすることにもなった。

発汗を促すために、しょうがのたっぷり入ったお茶を飲んで、片道30分自転車をこぎ病院に向かい、放射線治療前にもこのお茶をたっぷり飲んで、肌がやけどの状態になるのを防いで、照射後また30分かけて自転車をこいで家へ帰る。(筋力がついたら20分ぐらいで帰れるようになった。)

往復一時間のこの毎日の運動は、車がなかったからこそ得られたのかもしれない。孫の誕生と放射線治療とどちらが先かとやきもきしながら通ったあの畦道や山を望みながらの農道が、懐かしく思い出される。

徳島では、「車社会」の一言で、行政の交通網の整備は遅れているように思う。運転できなくなったお年寄りがおきざりにされているまま、この一言で何もかも片付けられてしまうようだ。

東京のような区や市ごとの循環バスもないし、買い物や通院、どこかへでかけるとき、これから年をとってどうすればいいのかと思うこともある。

つづく
 

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乳癌 (2) 手術

 癌の切除手術をすると1月29日に決めてから、手術の予約がとれる最も早い日は2月27日と言われ、その日が手術日となった。

 2013年(平成25年)2月27日、そのときがやってきた。乳癌手術がこの日3件あり、前日までは、一番最初にやると言われていた。私の手術時間は一時間くらいで、あとの2人はそれぞれ2時間ぐらいかかるという。

 ところがなぜか順番がいちばん最後に変更になり、朝食をとってからは何も飲み食いできずにひたすら手術で呼びにくるのを待った。午前中に1人、午後の人が2時間くらいかかるのだから、まあ3時くらいかなと思っていたのに、着替えて準備をしても呼びにこない。朝からひたすらそれを待つだけほどいやなものはない。

最初だったらすでに終わっていたのにと思うとなおさらだった。

 4時頃だったのか、呼ばれて歩いて手術室まで行った。手術室に入る所の部屋で手術着を整え、手術室に入る時、付き添ってくれている夫や夫の両親が見えた。無意識に手を振っていた。

手術室に入ると、お医者さんなのかおじいさんが入口に座っていた。先の2人の手術で既に疲れ果てているのかと心配した。

手術台に寝て、手術について乳房温存か全摘かの確認があった。既に診察の時に写真を見せられ、温存するか全摘するか決めていた。どちらにしても存命率は変わらないということだったので、温存手術、つまりしこりはとるが乳房はそのまま残すことにした。

「温存」ということをはっきり告げようとするのだが、酸素マスクがずれている。一生懸命「マスクがずれている」というのだが、なぜかそれを聞いた先生は、「このマスクは臭いんです」という。ちんぷんかんぷんの受け答えが続いたが、何とか通じたようだった。だけど通じたと思ったらほっとして疲れがどっと出た。

麻酔を注入するという言葉を聞いたと同時に意識を失った。

 「和枝!和枝!」と夫の呼ぶ声で目が覚めた。気がつくと担架に乗せられ、手術室を出たところだった。

麻酔が覚めたと思ったら、激痛が走った。思わず「痛い!」と叫んだ。叫ばねばいられないほど、しこりをとったところは痛くないが、リンパを切除したところが痛い。

目が覚めたとたん、叫び続ける自体となったが、担架を押している看護士さんは、先生の指示がないと痛み止めの注射はできないと、先生を探す。しばらく手術室の前に放置される。結局先生が見つからないということで、そのまま病室に運ばれることとなった。

手術室から病室まで「痛い!」と叫びながらで、このときほど時間が長く思われたことはない。痛みと不安とで見放されたような、どうなるのかと思う気持ちだった。

 先生と連絡がとれたのかわからないが、部屋でその看護士さんが肩のところに痛み止めの注射をし、しばらくすると痛みが感じられなくなった。

ほっとしてはじめて「やっと終わった」と思った。それにしても術後の患者の変化にすぐに対応できる体勢をとってもらいたいと、このときほど思った事はない。

手術後、私がまだ手術室で麻酔から覚めずに居る時に、切除したしこりを見せられ、「この硬さは癌だ」と言われたと夫が話してくれた。

癌の手術は、長いこと入院するのかと思ったら、手術前日、当日、手術後合わせて3~5日ほどですむ。5日ほど入院した。

 退院して、まず手術したほうの腕が上がるのかが心配だった。

普通に手を上げることができた。安心した。翌日には、庭仕事も普通どおりできた。安心した。

テーマ : 乳がん
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プロフィール

和枝

Author:和枝
 高校教師をやめ、ガーデニングのブログを書くうちに、気づいた小沢問題の陰に潜むマスコミや検察の腐敗をブロガーたちと追究し、小沢一郎氏の無罪判決を得ることができました。

「和順庭の四季おりおり」と題したブログの時から御支持いただいた真実を追究する仲間や冤罪被害者の皆様に支えられ、市民メディア「ツイートテレビ」を立ち上げ、私も生まれ育った東京を離れ、「生活の党と山本太郎と仲間たち」に習い、心機一転、主人の郷里・徳島にてエネルギッシュで常に現実に向き合い情報発信する生活をしています。
 
 それに伴い「和順庭」と名づけた庭も徳島県へ引っ越しました。



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■郵便局からの振込みの場合
口座 ゆうちょ銀行
記号 10000 番号 88352491

■銀行からの振込みの場合
口座 ゆうちょ銀行
店番 008 普通預金
口座番号 8835249
口座名 服部 和枝

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